お世話になっていた自動車整備工場が廃業しました。
このお店にかぎらず自動車整備業自体が衰退の一途なのはよく知られていること。
このお店の代表は廃業時の年齢が42歳。
従業員は正社員2人と経営者1人の3人体制でした。
特定の車種にめっぽう強い知識や技術を有していたため少なくともあと10年は続けてもよさそうなお店です。
そんな利益の出ている状態の店舗をなぜ整理して廃業したのか?
代表に聞いたお話を事例として紹介しておきます。
目次
自動車整備と中古車販売で利益は出ていたが廃業を選んだわけ
大阪近郊の控えめな土地を借り中古車展示台数は常時20代ほど、販売車両の整備をメインとした自動車整備を主たる収益源として経営していました。
2017年に廃業するまでの営業期間は10年。
開業当初はかなりの多くの仕事を任せられる優秀な営業スタッフAがいた。
自動車の整備などは代表ともう一人のスタッフが行い、社長の代わりに営業スタッフAが顧客応対や販売に関わる代行事務などをこなしていた。
事業も波に乗り開業3年ほどで年度売上は6000万円を超え、純利益も2000万円近くまで伸びた。
優秀なスタッフの離脱
優れた営業力、つまり接客能力が高いスタッフAは店舗の収益が伸びると給料アップを懇願するようになる。
社長はその要望に答え続けたが、最終的に自身の年俸700万円(当時)よりも高く設定した年俸にも満足せず退職することとなる。
自分で経営しながら得る給料と雇われて取る給料ではリスクが違う。
これが別れ言葉だったという。
結局、スタッフAは退職して独立を目指したものの、結局は自動車買い取り量販店で年収を半分以下に落として現在も自動車業界で頑張ってるそうだ。ただし、年収が増えることはないのは誰の目に見てもわかることだった。
当時を振り返る社長は
「あの時、辞めるの止めておいたら、お互いもうちょっと良かったかもな」
と当時を振り返る。
新たなスタッフを抱えての労働
スタッフAは退職したものの、中古車販売が伸びていたこともあり顧客は安定して来る店舗になっていた。
販売業務、登録作業、整備作業など、2人ではどうにもならず、猫の手も借りたい状況だったため、実務で使える整備工スタッフを1人追加で雇用した。
整備2人
事務代行、営業販売は社長がこなす。
整備レベルを落とせないため社長自らも整備を行う。
開業4年、売上は安定していたが、経営者兼、現場作業の日々。
かなりの労働量で社長は精神的に疲弊し始める。
売上はやや落としながらも安定した純利益をあげていた。
社員教育にほとほと疲れ果てる
社長自ら、接客業務、事務作業、整備作業を行う傍ら、将来を考え2人のスタッフに接客と事務という経営に近い重要な仕事をさせるよう教育も努力した。
しかし、クルマの整備はそこそこ出来るだけのレベルで対人スキルが低く、接客など到底させれない整備工のスタッフ。
経営と現場作業、思うように進まない社員教育。
こんな時間を数年費やすことでこの環境に疲れ始めていった。
そもそも自分で作った環境やから仕方ない。
そう語る社長の目は廃業を固く確信してるものだった。
近い将来の廃業を決意
開業から6~7年経った頃、10年を区切りに廃業しようと考え出す。
とりあえず店を閉めるので今のスタッフが働き続けるのであればこのままの体制で継続。
ただし誰か辞めても補充はしない。当然売上も現状維持。
そんな感じでさらに数年経過した。
閉店廃業する2年前から実際に閉店する準備を開始する。
あまり細かな整備チューニングなどの要望を出す顧客は受け入れないようにしたり、在庫を増やさないよう仕入れも短期サイクルで収まるような車体に特化した。
そして、廃業を意識しながら、自分自身の今後の身の振り方をひたすら考えた。
自動車整備一筋で行きてきた男の次の仕事
廃業する2年ほど前からこの社長とよくこの話をした。
とりあえず、長年仕事ばかりで個人的な浪費はしてないほうだったため、個人資産は十分に蓄えが合った。
使わないお金は投資信託にいれたり外貨預金にしたりで2017年時点では資産総額は2億円にまでなっていた。
42歳で2億のしさんがあれば、贅沢さえしなければそのまま生きながらえることは出来る。
しかし、やはり一度の人生、
なにか新しい事がしたいと、さまざまな勉強を始める。
インターネットを通じた情報サービスやネットショップなどの事業にも興味を持ち勉強した。
また、若い頃学業とは疎遠な生活をしていたため、とりあえず何か学問的な勉強がしたいと語学の勉強にも励みだす。マンツーマンの英会話スクールに通い始めたのもこの頃。閉店1年前からこういった「次の人生」に向けた準備が始まっていた。
そして2017年閉店廃業
そして計画通り、開業から10年
キッチリと閉店した。
在庫車の処分、在庫美品の処分、ガレージピットの工具類や設備品も処分。最終的な売上もしっかりと会計上で処理。
有限会社だったが、自分自身にけじめをつけたいと会社も解散処理。
今後については不透明
具体的に次にやることは決まってない。
しかし、とりあえず1年2年は新しい勉強しながら家族とゆっくり過ごしたい。
そういう考えのもと、今も英語とインターネットでの情報収集に励みながら小さい子供の世話をしつつ楽しく暮らしている。
蓄えがあるからこそ出来る余裕とも言えるが、蓄えなどはいくらあっても減り続けるだけ。
実際に何らかの営業活動なくしてお金が増えることはない。
そんな状況でありながら次へ向かうために利益の出る事業を完全に撤廃し新しい自分の生き方を探る。
そのままクルマ屋やってても絶対に将来食えなくなる
今は赤字じゃなくても将来絶対赤字抱えることになる。
そう行っていた社長の口癖が印象的だ。
自分が避けたい現実を避けるための行動、
そしてその自分が目指したい業界や世界があるのなら試しに向かってみる。
そういう行動を目の前で見せてもらったことは人の生き方として非常に参考になるものでした。
今はまだ大きなアクションが無いため次のビジネスや仕事がどうなるのかは不明ですが、ただただ今は楽しく暮らしている。
そう報告を受けています。
「自営業を廃業してから正社員になる」
今の時代はそんな生き方も普通にあります。
